• 許しえないもの2015年01月26日更新

    先日の読売新聞に掲載されていた、コラム欄の記事をそのまま載せます。

    許しとは、許しえないものを無条件で許すことだ、と論じた哲学者ジャック・デリダを思い出した。20年前に起きた松本サリン事件で妻を失い、犯人視の被害も受けた河野義行さんが長野支局員の取材に応じ、オウム真理教の死刑囚に会った感想を語っている。

    「普通の人よりちょっと真面目かなという印象。彼らには[組織の正義]があったのでしょう。でも、自分はそうゆうことをやらないといいきれるか」

    妻を奪った教団を憎み続けてもおかしくない河野さんがたどりついたその思いに、父親を水俣病で亡くした同年代の漁師、緒方正人さんの言葉が重なる。

    「チッソが毒を流しつづけて、儲かって儲かって仕方がない時代に、自分がチッソの一労働者あるいは幹部であったとしたらと考えてみると、同じことをしなかったとは言い切れない[チッソは私であった]製品があふれ、システムで動くこの社会・時代の中で、自分たちは[もう一人のチッソ]だと」

    後略。

     

    まさに森林が人間を許すように、我々には謎である。