特産農産物を守るべきだと言うことと、国のリゾート開発法は既に破綻していることを強く訴えましたが、聞く耳はありませんでした。
しかも、あろうことか我々に協力してくれて、工場敷地を貸してくれて、農地転用までしてくれたYさんの当該土地を、借金の担保として強制執行して、取り上げられてしまいました。
農薬散布を条例で義務付け、農地をボロボロにして、もうダメだとなったら今度はリゾート開発だと強引に決め付ける、お上とはそんなものなのです。
最近の県会議員を見ても解ると思いますが。
弘前の友人から私と同じようなことを言っている人がいる。
腐乱病をはじめ、りんごの病気は農薬では治らない、と言って指定された農薬を撒かず、条例違反で罰金も溜まり、村八分状態だと言うことでした。
ほとんどの農家がお上の言いなりになって、化成肥料を施し、農薬を撒き散らしているのに、珍しい人だ是非会ってみたいと思いました。
会って見ると、なるほどちょっと変わった人でした、頑固と言うか意志の硬そうな人でした。
私も無農薬は解るけど、品種改良を重ねて出来上がったりんごは、無肥料は無理ではないか?と言うと、いや、大丈夫だと言い切っていました。
私は東京で緑の葉っぱを材料に雨水と空気だけで、緑葉たい肥というのを作っている、青森のりんご園を対象に、岩木山に工場を創ろうと思っている、と言うと、是非見てみたいと言いました。
どこの農村でも同じことだと思われますが、私が実際に経験したことを少し述べてみます。
30年ほど前になりますが、青森県弘前市の岩木山の山腹でりんご農家を対象に緑葉たい肥を生産販売しょうと、支店の設立準備をしていた時のことです。
当時県内のりんご園では腐乱病と言う不治の病気が蔓延していました。
県の農政課では腐乱病にかかった木は即刻伐採、焼却を義務付けていました。
青森県では県の特産品であるりんごを守るため、腐乱病をはじめ3種類の病気を防ぐ農薬散布を条例で決め、違反すると罰金を課していました。そのほか年間13回の農薬散布を義務付けていました。
しかし、りんごの病気は減りませんでした。
それどころか、農薬散布で農薬を身体中に浴びた農民の方が原因不明の病気で体調を崩し、倒れる者が続出しました。
あの「奇跡のりんご」で有名になった木村秋則さんのお父さんも農薬中毒で亡くなられました。
だから木村さんは化学肥料と農薬を絶対に使わないのだと言ってました。