葉を想うBlog
  • 被害者意識と加害者2015年08月07日更新

    田中さんのおっしゃる通り、経済、即ちお金をものさしにして世の中を見れば、悔しいことは沢山あります。

    そこそこの悪いことをしても保釈金が払えれば自由になれるし。

    国の政治を司る議員さんだって、お金で左右されることが多いみたいですから。

    でも夏目漱石先生は小説「草枕」の出だしで「情に竿させば流される」と言っているぐらい、日本人は昔から情に弱いのです。

    だから、田中さんも今はきついことを言っていますが、その時になれば率先して飢えてる人たちに食糧を提供してると思います。

    日本人には情をものさしにしてきた長い歴史があるからです。

    お金を憎んで、隣人を愛する心情は全滅してないからです。

     

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  • 更に続きます2015年08月04日更新

    だが、お茶碗一杯30円ほどのお米が高い、もっと安くしろというのが経済大国ニッポンの風潮であるから、いずれこの永久資源もヨタヨタしてくる。

    工業をまねた農業ではセンパイであるアメリカでは、日本よりも早くヨタヨタするはずである。

    私の感じで言えば、今世紀末には、アメリカから食糧は来なくなる。

    いくらお金を持っていても、食糧を買えない時代がすぐそこに来ている。

    (中略)今、食糧は足りてるよ、外国から安く買っちゃうよ、宅地不足だから農地を手放せ、などとぬかしている国民に一粒のコメも売る義理はないのだが、なにせ生き死にの問題だから政府は強権で百姓から食糧を取り上げるに決まってる。

    それで平等に飢えるほかないわけである。これが目に見えているから農業批判を耳にするたびに、私は地べたを叩いて悔しがっているのである。

     

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  • 再び田中佳宏さんの本から2015年08月03日更新

    土は石油やなんかと違って永久資源であり、大切だと、農業に理解のある人たちは言う。

    確かにそうなのだが、工業を真似た能率的で合理的な農業スタイルと言うのは、この永久資源にもいずれストップをかけてしまう、というのが、より農業を知った人の考えなのである。

    竹村健一センセイは、石油が来なくなったら機械が動かなくなってしまうから農民だって仕事ができなくなり、飢えてしまうのだ、と御意見を述べた。

    が、もっと端的には土が、永久資源であり続けるためには、石油がなくなる必要があるのである。

    工業をまねた農業ができなくなる、その時、農業は農業になるのである。

    つまり、土は永久資源になる。

     

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  • イソップ物語が伝えること2015年07月09日更新

    イソップ物語に肉を咥えた犬が橋の上を通ったとき、川の水面に映った自分が咥えている肉を見て、その肉も欲しくなり、咥えようとして口をあけたら自分の咥えていた本物の肉を落としてしまった、と言う他愛もない話なのですが、現在の日本に、なんとなく似ています。

    日本には既に世界中に誇るべき伝統や技術が沢山あります。

    日本農業もその一つです。

    アメリカの機械化、大規模農業が欲しくなり、折角の素晴らしい日本式農業を失ってしまいました。

    ただ経済的と言う鏡に映った農業が欲しくなって。

     

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  • 人類が生存と繁栄のため経済を利用したのはつい最近のこと2015年06月26日更新

    人類が物物交換が不便だからと貨幣という道具を作ったのはそんなに古くはありません。

    とても便利な道具だったので、それを利用して経済活動が発生しました。

    今まで交換できなかった物が出来るようになってとても便利になりました。

    便利になると危険が増えるのは世の中の常で、本来、生存と繁栄を目的として自然に寄り添い、自然に助けられながら生きてきた生物の一種が、いつの間にか貨幣を集めることが目的みたいになってしまいました。

    丁度、学歴社会が横行した時代に大学さえ出れば将来が安定すると言って、受験戦争が始まって、大学へ入ることが目的化して、その後社会人になってから、大学は出たけれど目的を失った大人が今の日本を支えているようなもので、目的を勘違いした、しかも偏差値の高かった人たちの集まる、お上がうまく指導出来ないのは、これも世の常なのか?

     

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  • 植物は何も困ってない。2015年06月12日更新

    豪雨も干ばつも地震でさえ植物にとっては、織り込み済みのことで、長い植物の歴史から見ればもっともっと凄い、人間が想定外だと言う様な場面を何度も経験して、此処なら少し頑張れば安住と繁栄は確保出来ると思い生育しているのです。

    そして少しづつ他の生物を養い、環境を調整しながら生態圏を形成していくのです。

    そんな場所をぶっ壊し、コンクリートで固めて自然のバランスを壊してきたのが人類なのです。

    それでも昔の人が、太陽を拝み、森を崇め、水神を祀った意味が解りますよね、いろいろ教えて貰ってたのです。

     

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  • 木の葉のテレパシー2015年06月11日更新

    植物は誰から教わったわけでもないのに、種の保存、繁栄のために「備えよ常に」と言うボーイスカウトなどが行動の規範として、子供の頃から教え込まないといけないような日常生活に必要なことを普通に実行しています。

    「臨機応変」や与えられた環境に適応せよ、生存条件が一つでも欠けたら、潔くあきらめろ、と言ったような人間が見習うような手本を発し続けているのです。

    受け取る受信機を持って無い人が多過ぎるだけなのです。

     

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  • 自然と向き合っている人の言い分2015年06月09日更新

    田中さんは実際に農業をやっているし、前述の、造形家のふじい忠一さん、美術家の野口弥太郎さん、青森の木村さんなど常に自然と向き合って生きてきた人たちは、凡人とは違う鋭敏な感性を備えていて、金銭や世情に流されることなく、スマホや車に狂っている大衆が気付いていない、何かを既に感じているのかも知れません。

    日本の記録的豪雨やアメリカの建国以来の干ばつなど、木の葉のテレパシーなみの感受性で感知しているのでしょう。

     

    キュウリ

  • 田中さんの本から2015年06月06日更新

    日本の農水省の役人も偉くて、いやよほどヒマだったのかも知れないけれど、その何人かが食糧輸入がストップした場合、日本の食糧事情がどうなり、どれだけの努力が出来るかを計算してみたことがあった。

    それは、どう国民(農民だけじゃないですよ)を働かせてみても、国民が食えるという状態を作り出せない、という結論にしかならなかったらしい。

    それで自給率向上には前向きにならない、つまり諦めちゃった、と言うことらしい。

    そこで、こういう論が出てくる。

    例えば西丸震哉氏の論・・・日本を崩壊から守るためにどう飢餓に対処するか。日本の人口全部はとても無理で、今の食生活レベルだと6千万人も危ない。

    でもより多くの人が生き延びるため、主要食糧全部について、厳正な割り当て、配給制を実施出来るようなシステムにしておくべきである・・・。

    国民全て平等に食おうじゃないか、ということである。おふざけじゃないよ。

    その食糧を作っている百姓を、江戸時代と同じに生かさぬように、殺さぬように、しておいて。文明に遅れたバカモンにしておいて。

    決まってるじゃないですか。

    食糧を作らぬ人に、飢えていただくのですよ。

    そうでなけりゃ、私だって、一日だって百姓するのはイヤです。

     

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  • 田中佳宏さんの言い分2015年06月05日更新

    田中佳宏さんは埼玉県に住む農民作家で歌人でもあり、自らを百姓と称するユニークな人で、私も農大出で学生時代から百姓、百姓と呼ばれ、現在も堆肥を作って、農家の人たちを相手に食べさせて貰っているので、田中さんの書かれた「耕さずに食うみなさまがたへ」の愛読者でフアンです。

    同感することが多く、何度も読み返しました。その中から特に感銘を受け、私もそう思うと感じた箇所を紹介させてもらいます。

    「かごに乗る人、担ぐ人、そのまたわらじを作る人」といいますが、わらじの代わりに堆肥を作っています。

     

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