だが、お茶碗一杯30円ほどのお米が高い、もっと安くしろというのが経済大国ニッポンの風潮であるから、いずれこの永久資源もヨタヨタしてくる。
工業をまねた農業ではセンパイであるアメリカでは、日本よりも早くヨタヨタするはずである。
私の感じで言えば、今世紀末には、アメリカから食糧は来なくなる。
いくらお金を持っていても、食糧を買えない時代がすぐそこに来ている。
(中略)今、食糧は足りてるよ、外国から安く買っちゃうよ、宅地不足だから農地を手放せ、などとぬかしている国民に一粒のコメも売る義理はないのだが、なにせ生き死にの問題だから政府は強権で百姓から食糧を取り上げるに決まってる。
それで平等に飢えるほかないわけである。これが目に見えているから農業批判を耳にするたびに、私は地べたを叩いて悔しがっているのである。
人類が物物交換が不便だからと貨幣という道具を作ったのはそんなに古くはありません。
とても便利な道具だったので、それを利用して経済活動が発生しました。
今まで交換できなかった物が出来るようになってとても便利になりました。
便利になると危険が増えるのは世の中の常で、本来、生存と繁栄を目的として自然に寄り添い、自然に助けられながら生きてきた生物の一種が、いつの間にか貨幣を集めることが目的みたいになってしまいました。
丁度、学歴社会が横行した時代に大学さえ出れば将来が安定すると言って、受験戦争が始まって、大学へ入ることが目的化して、その後社会人になってから、大学は出たけれど目的を失った大人が今の日本を支えているようなもので、目的を勘違いした、しかも偏差値の高かった人たちの集まる、お上がうまく指導出来ないのは、これも世の常なのか?
日本の農水省の役人も偉くて、いやよほどヒマだったのかも知れないけれど、その何人かが食糧輸入がストップした場合、日本の食糧事情がどうなり、どれだけの努力が出来るかを計算してみたことがあった。
それは、どう国民(農民だけじゃないですよ)を働かせてみても、国民が食えるという状態を作り出せない、という結論にしかならなかったらしい。
それで自給率向上には前向きにならない、つまり諦めちゃった、と言うことらしい。
そこで、こういう論が出てくる。
例えば西丸震哉氏の論・・・日本を崩壊から守るためにどう飢餓に対処するか。日本の人口全部はとても無理で、今の食生活レベルだと6千万人も危ない。
でもより多くの人が生き延びるため、主要食糧全部について、厳正な割り当て、配給制を実施出来るようなシステムにしておくべきである・・・。
国民全て平等に食おうじゃないか、ということである。おふざけじゃないよ。
その食糧を作っている百姓を、江戸時代と同じに生かさぬように、殺さぬように、しておいて。文明に遅れたバカモンにしておいて。
決まってるじゃないですか。
食糧を作らぬ人に、飢えていただくのですよ。
そうでなけりゃ、私だって、一日だって百姓するのはイヤです。