化学肥料の全てが悪い訳ではありません。
人間に例えれば栄養剤やサプリメントだと思って下さい。
生物は単細胞の原生生物から人間のように数兆個の細胞から出来ている生物もいます。
全ての細胞はそれぞれの役目を果たしながら新陳代謝を繰り返しています。
その為に必要なエネルギーを食べ物から得ています。
細胞が一つの単細胞生物からほぼ生物の頂点に立っていると言われる人間まで全てがエネルギーを得るための食物連鎖で繋がっているのです。化学肥料や栄養剤、サプリメントはこの生物由来の食物連鎖以外の物質なのです。化学肥料や栄養剤が出来るまではエネルギーの摂取は自然からの食物連鎖に従っていたのですが、優秀な化学者が合成したり必要なものだけ抽出して、肥料や栄養剤、サプリメントとして作り出したのです。
その使い方が問題なのです。
全ては人間の飽くなき欲望のなせる業(ワザ)で仕方ないと言えばしかたないことですが、欲望を希望と置き換えれば納得できるかも知れません。
ノーベル賞を創ったノーべルも鉱山で鉱石を掘るのに手で掘っていたのをなんとか楽に石を割れないかという希望をもって研究しダイナマイトを発明したはずです。
しかし結果は戦争に使われ多くの人命を奪ったのです。
DESもDDTもPCBもその他多くの合成化学物質も全て化学者の希望であり、最初から危険な薬を創ろうなんて思っていなかったはずです。
多くの困っている人たちのために役に立とうと思って努力した結果なのです。
日本の農業は2000年以上も前から肥料も農薬も無いのに人糞や畜糞尿と僅かな草や藁、落ち葉などを利用して自然の生態系を大事にして延々と1960年代ぐらいまで続けてきたのです。
初めて尿素と言う化学肥料が出た時、農家は驚愕しました。少量でこんなに効果があるのは、夢のような肥料でした。
事実余った尿素を勿体ないので苗代の隅にばら蒔いて帰り翌朝田んぼに行って苗代を見るとそこだけ苗が真っ青になっていたのです。
もう生態系だとか、土壌動物、微生物などどうでもよく、これさえあればと思ったのです。
これからは辛い想いをして堆肥など作らなくて良くなった、これこそ近代農業だ、長いあいだ望んでいた希望の農業だ、と言って夢がかなった喜びにひたっていたのです。
DES、DDT、PCB等が人体に危険だと言うことが解ったのは30年以上経ってからのことで、直接人体に影響があったので対処が比較的早かったのだと思われます。
農業の場合はまず畑の土壌の中に住む土壌動物や微生物に異変が起きるのに30年~40年かかり、それから更に数十年かけて作物に徐々に影響が出始めます。
それは土壌がもつ許容力がとても大きいからです。
それでも人間は作物に異変が起きても更に強力な農薬を作り出し対応してきました。
そして現在、さすがに包容力の大きな土壌の許容力(地力)も限界に来ています。
青梅市の有名な梅園なども土壌線虫に負けて皆伐するようです。
水戸の偕楽園も伝染しないかとヒヤヒヤしてるのが現実の状況です。
人間の作り出す薬は効けば効くほど後々とんでもない危険な結果を出すものだと言う事に早く気づくべきです。
人間が作り出した合成化学物質は沢山ありますが、特筆すべきは、1938年英国の科学者エドワード・チャールズ・ドッズらが合成した体内で天然エストロゲンのような作用をする薬で、医学者や研究者は無限の応用価値を持つ奇跡の薬物だと称賛しました。
後に多くの被害者を出したDES(ジエチルスチルベストロール)と言う合成物質です。
その後サリドマイドによる惨事はあまりにも有名です。
DESと同じ頃、同じように奇跡の殺虫剤と言われたDDTはご存知だとおもいます。
この薬を開発したスイスの化学者パウル・ミュラーは1948年ノーベル賞を受賞してます。
更にPCB(ポリ塩化ビフェニール)等々現在ではほとんどが製造中止になっていますが地球上にはまんべんなく放出されて現在でもいろんなところに存在しています。
ダイオキシンのように人間が作り出した物質ではなく、地上に放出された化学物質どうしが、一定の条件が揃うと勝手に化合して合成されると言う危険な物質も含めると、この地球上に十万種以上の合成化学物質が存在しているのです。
前述したように、現在の農業事情は大変なことになっているのです。
後継者不在、高齢化、TPP問題等とともに農地の疲弊化、耕作地のドーピング状態など米国農業に追いつき、追い越せと言って進めてきた近代機械化大規模農業,化学肥料農法の弊害が顕著になってきたのです。
自動車産業や家電製品はなんとか米国に追いつき肩を並べていますが、農業の方は悪い意味で米国の後を追っているのです。
米国では第2次世界大戦後しばらくしてから農薬の弊害などが叫ばれていたのです。
そして1962年レイチェル・カーソンの著書「沈黙の春」で警告されてます。
およそ10年後の1972年日本では有吉佐和子氏がレイチェルの警告を受けたように「複合汚染」と言う小説を新聞紙上で連載し、後に単行本を発行して日本農業の危機的現状を詳しく報告しました。
その後1997年(日本語訳)に米国のシーア・コルボーン他2名による共著「奪われし未来」で農薬だけではなく工業製品などにも共通する合成化学物質のDDTやPCBなどのホルモン作用撹乱物質について詳しく報告しています。
もう農業だけではなく人類全体の存亡をかけた恐ろしい事態に突入しているのが明らかになってきているのです。
一般に言われるリサイクルとは普段なんでもない時に使われる言葉であれば大切なことですが、廃棄物が処分出来なくなって(埋立地がなくなりそうで)だからリサイクルで回避しようと言うのは一時しのぎにすぎないのです。
鉄、紙、ガラス、タンス、机などは昔からリサイクルされていますが何回か繰り返すうちに再生品の品質が落ち最後はゴミになります。
ペットボトルやプラスチック類は植木鉢やハンガー、杭などに再生されますが比較的早い年月でゴミになってしまいます。
地上で一旦成形されたそれらの人工物はかたちが変わっただけで、大きな目で見れば何も減っていないのです。
それに対して緑の葉っぱ等の自然のものは堆肥等にすることによって野菜などの栄養になりそれを生物が食べまた土に戻り植物の養分になるということを地上と地下で動物や人間、微生物を介して食物連鎖と言う生命の輪によって永遠に繰り返えされ、全ての場面には生命が介在しています。
そして、原料の緑の葉っぱは廃棄物でも出来た堆肥はまったく新しい新製品で、再生品ではないのです。