葉を想うBlog
  • 植物の中の生産工場2014年10月28日更新

    太陽光と雨水と自ら作り出した木の葉でもって、自力で食糧を生産する工場を内在する植物にはとても人類はかないません。

    我々人類はこれを森林の自己施肥系と言って簡単に片付けていますが、我々が地産地消とか究極のリサイクル社会とか、循環型社会の構築とか言って理想にしているが実現出来ないことを、公害も出さず、誰にも迷惑をかけずに黙々と実行しているのです。

    まさに利他的DNAを、人類が発生する何億年も前から一途に守り続けているのです。

     

    PENTAX DIGITAL CAMERA

  • 植物をもう少し理解してみよう。2014年10月24日更新

    話が少し横道にそれたようなので木の葉のことについて考えてみようと思います。

    植物が光合成によって生きていることは知られていますが、植物が太陽光をエネルギーにして腐植から養分を吸収して有機物を生産しているメカニズムはまだ解明されていません。

    又、植物は地下から養分とともに吸い上げた水を酸素と水素に分離し、酸素は大気中に放出しほとんどの生物を養い、生物が放出した炭酸ガスを浄化してくれます。

    更に水素と炭酸ガスを化合させ有機物を生産し、自らの体も作り、成長していくのです。

     

    PENTAX DIGITAL CAMERA

  • 都市化は果たして進歩なのか、破滅なのか?2014年10月21日更新

    自然を破壊して得た資本主義による都市化や工業化は人類や他の生物にとっては破壊以外のなにものでもなく、とても進歩と言えるものではないと思います。

    少しだけ便利になったかな、と言う程度で都市住民としては精神的にも肉体的にも満足度は低下してるとおもわれます。

    例えば、アマゾンの奥地の先住民が弓矢しか持ってないのに、我々が高速道路や原発を持っているのは、我々が彼らより「進歩」しているといえるのか?

    否である。

    彼らには弓矢があれば十分に満足した生活ができるのであって、高速道路は必要ないのです。

    我々は高速道路があっても満足に生活できていますか?

    ブータン王国を見習うべきです。

     

    PENTAX DIGITAL CAMERA

  • 農民の家政経済から生まれた世界銀行と言う化物2014年10月21日更新

    農村文化から産み落とされた近代都市、近代都市の集まる先進国と言われる国々から資金を集め近代資本主義の頂点にたっている世界銀行の行為が地球の環境破壊に力、即ち金を貸している事実が沢山あります。

    環境庁が翻訳した「地球白書」で次のように評価されています。

    「現在、世界銀行は道路建設、ダム建設、潅漑施設、港湾施設など、大規模な資本集約的プロジェクトへの融資を続け、プロジェクトに伴う被害の調査すら不可能な国々においても、河川の汚染、熱帯雨林の焼き払い、大規模露天掘りなどの共犯者になっているのです。

    そして地域住民、即ち最大の影響を受ける地元の貧民の激しい反対運動を受けているのです。

    その上市場資金を流用して年間13億ドルも稼いでいるのです。

    これが資本主義の本質であり、資本主義社会では称賛されることなのです。

     

    PENTAX DIGITAL CAMERA

     

     

  • 都市化と資本主義と利己的DNA2014年10月21日更新

    歴史的にみれば、スペースや資源の限界、環境保全や公衆衛生の問題に直面してきたのは都市の方なのです。

    更に決定的な問題は、資本主義の原型が農民経済を引きずっていると言うことです。

    資本主義的で排他的な所有や財産の観念は、孤立し自足した農民の家政経済に原型が有るのです。

    農民にとっては各自の家政経済だけが信頼でき、家と村の外の世界は敵意と利己的交渉の対象でしかなかったのです。

     

    PENTAX DIGITAL CAMERA

  • 農村の自然環境に対する考え方2014年10月21日更新

    数千年前から延々と育まれてきた農村文化のなかでは、自然は汲めども尽きせぬ富の源泉であり、自然の再生力は無限なのだから、労働こそ人間のなすべきことと言う環境破壊の元凶になる発想は元々、人間と自然を区別しない農民のものであり、こうした発想も農村で人口が増える一因なのかもしれない。

     

    PENTAX DIGITAL CAMERA

  • 工業化社会と農村文化2014年10月21日更新

    100年以上前までは工業社会はあまり繁栄してなく、近代工業化への経験は歴史的にほとんどなかったのです。

    人類が過去から受け継いだ農民文化を頼りに工業社会を構築していったのです。

    農村からの流入が多かった工業化社会では農村出身者が主導権を握る機会が多かったので当然の事だったのでしょう。

    このように相変わらず農民文化の遺産を引きずっているところに環境問題、特に自然環境に対する考え方において重要な意味を持っていると考えられます。

     

    PENTAX DIGITAL CAMERA

  • 資本主義と環境破壊2014年10月21日更新

    資本主義を活気づける利子、利潤、投資機会と言うものは、人口と経済の急速な成長なしでは有り得ないものです。

    農村はその伝統的な出生率の高さを維持して人口の成長に貢献し、この人口の増大が安価な労働力の供給や市場の拡大をもたらし、経済を活性化させ資本主義の発展の原動力となるのです。

    そしてこの様な資本主義的な工業化は農村の存在を前提条件としているだけでなく、意識的に都市化したわけではなく過去の農民と農村の文化の延長線上に出来上がっているのです。

    ですから都市と農村は対極にあるわけではなく同時進行で環境を破壊しているのです。

     

    ハス2

  • 都市と農村2014年10月21日更新

    環境問題の本質は人口問題なのですが、人口と環境の問題は常に都市問題なのです。都市への人口集中、農村の人口増大と言う二つの問題から合成されていると言うことが認識されています。

    経済の成長は都市で、人口の成長は農村で起きる。日本でもそうだったが世界でも北の都市化した先進国における経済の過剰発展と南の農村人口の急増と言う二つの問題にはさみうちされているのです。

     

    DSC_05172

  • 人口の増加と女性の立場2014年10月21日更新

    先日、東京都議会で女性の議員が少子化について質問している時に、セクハラ的なヤジを飛ばしたと男性議員が謝っていましたが、女性議員は「女性を侮辱した」と言って怒っていました。

    原発のような巨大で危険な技術が開発される背景には人口爆発があり、人口の増大は常に、女性を生殖の道具とみなし低い地位に拘束する社会構造があったわけで、そこから脱却すべく、女性の地位向上を実現している女性議員が「産まないのか」とヤジられたぐらいで「侮辱された」と訴えるより、あなたたちが無能だったからこんなに世の中を汚染してしまった。

    子供なんか産めるわけないでしょう。

    私たちには本能的に危険が迫っているのを感じているんですよ、と言ってやれば良かったのにとおもってます。

     

    DSC_0524